つれづれ日記

24歳会社員のライフログ

初めて煙草を吸った日(1)

人生で初めて煙草を吸った。あの人の気持ちを知りたかったのだ。

 

 

3年半付き合って別れた彼は、15歳年上の人だった。

優しくて、なんでも私の言うことを聞いてくれた。

私の行きたいところに連れて行って、食べたいものを食べさせてくれた。

今思えば、私はなんてワガママを言って、困らせてしまったんだろうと思う。

私はあまりにもワガママで、彼はあまりにも優しかった。

 

彼の車に乗って、二人で色んなところに行った。

私が駅巡りや温泉に行くのが好きだったから、日曜日は必ず会って、助手席に座って遠出した。

車で色んな音楽をかけた。二人で歌いながら、少しだけ開けた窓から風が入ってくるのが心地よかった。

雨の日は、私が雨を止ませるおまじないをかけた。すると、驚異の晴れ女ぶりを発揮して、みるみる空が晴れていった。彼は驚いて喜んでくれた。

彼の好きな歌を覚えた。数え切れないほど、たくさんの場所を旅した。

夜のサービスエリアで、彼は私の髪にキスをしながら、キリンジの「エイリアン」を聴いていた。

 

就職試験の勉強で行き詰った時も、私が目指していた就職先で働く彼が教えてくれた。

毎日1往復のメールを3年半続けた。

就職試験の直前期には、時事問題とその回答を毎日送ってくれた。

 

意地っ張りで泣き虫ですぐに落ち込んでしまう私を、彼はいつも励ましてくれた。

「淡々と粛々と、サクッとフワッと軽やかに・・」

いつもこう言って笑ってくれた。彼に抱きしめられると元気になれた。

 

付き合って、2年目の私の誕生日の日。

誕生日を祝ってくれたデートの帰り道で彼は「来年の誕生日も今みたいに仲良しだったら、一緒に暮らそう」と言ってくれた。

翌年、彼のご両親に挨拶に行った。

 

・・・

 

彼は煙草を吸う人だった。

学生時代から15年以上吸っていて、いつも咳ばかりしていた。

どこもかしこも調子が悪そうだった。

そんな彼を見て、私はいつも心配で、悲しくて、「健康に悪いから煙草はやめなよ」と言っていた。

その度に彼は、「なかなかやめられないんだ」と苦笑いしていた。

ある時私は、喫煙年数から寿命を割り出すサイトを見つけて、彼のデータを入れて検索したことがあった。あまりにも短い寿命だと思った。

私は彼とできるだけ長く一緒にいたかった。

「煙草をやめるか、私と別れるかどっちかにして」と泣いて、彼を困らせたこともあった。

それくらい必死で、切実で、悲しかったのだ。

 

でも、そんな思い出も、過去になってしまった。

 

彼を振ったのは私の方だ。

私は社会人になり、希望の職場にも就職できた。

そんな時、これまでの人生を振り返って、自分はあまりにも他人に依存しすぎていたと感じた。

社会人になったのに、自分で決めて自分で行動したことがあまりない。

もっと自立しなければと強く感じていた。

それは、「今自立しなければ、これからも自分のことが嫌いな自分のままだ!」というような、私の人生史上でも稀に見る強い欲求だった。

海外(それもあまり日本人が行かないような国)に行きたい。一人暮らしを始めたい。

もっともっと自分の思いのままに生きたい。

そんな今後の人生プランを、私は意気揚々と彼に語った。

すると、彼は「ダメだ。現実的じゃない」と否定してきた。

まさかそんなことを言われるとは思わなかったから、私は驚いた。

同時に「なんで親でもないのに、この人に怒られなきゃいけないのか」という怒りが湧いてきた。

大好きな彼の横顔も、出会った頃からは年を取ってしまった。わかっていたことなのに。

15歳の年の差は大きいことくらい、わかっていた。

 

この頃から、徐々にすれ違っていったんだと思う。

彼はどんどん親のような態度を取る。私はイライラしていた。

そんなイライラが伝わったのか、彼も以前ほど話をしてくれなくなった。

 

そして、彼から「距離を置きたい」というメールが届いたのは、そう遠くはない7月の夜だった。

「1か月だけ連絡を取るのも会うのも控えて、自分たちの今後を見つめ直したい」

メールにはそう書いてあった。

私は想像もしていなかったことで、しばらく泣きじゃくって、ありったけの気持ちを込めて「あなたが大好きだ。かけがえのない人だ。これからも傍にいたい」という内容のメールを送った。

彼からの返信はすぐに来て、「少し時間を置くだけだから。また戻ってくるから大丈夫だよ。自分にとってもあなたはかけがえのない人だ」と書いてあった。

 

1か月の間、私も考えた。

でもその間、私に好きな人ができてしまった。今の彼だ。

彼は年下で、親のようなことは言わないし、無邪気で明るくて、一緒にいて楽しかった。前から良い子だなとは思っていた。初対面の時から意気投合していたから。

すぐに心を奪われてしまった。

まもなく彼から告白されて、私は「いいよ」と言ってしまった。

その日遅くに家に帰り、家族が寝静まった静かな部屋で、声を殺して泣いたのを今でも覚えている。

きのこ帝国の「夢みる頃をすぎても」を聴いていた。

 

あなたの横顔は年を取るし あげた花も枯れてしまうだろう

息継ぎが上手くなってきたから 苦しさは思い出せなくなるだろう

(中略)変わりゆく街並みをそっと あの頃の夜に塗り替えてみても

変わらない物などないと気付いてしまった 気付きたくなかった

 

約束の1か月後、久しぶりに彼に会った。こんなに会わなかったことはこれまでなかった。

自分の中で最高レベルにお洒落をして出かけた。

今日は別れ話をすると心に決めていた。綺麗な私を覚えていてほしかった。

 

久しぶりに会った彼は、疲れてくたびれているような印象だった。

会わなかった一か月分の話をした。以前のように笑顔で、楽しく、話題は尽きなかった。

そして、1時間くらい経ってから、私は別れ話を切り出した。

「あれから色々考えたんだけど、私たち別れた方が良いと思う」

彼は「そっか…」と言った。店を出た。

彼が車に乗って、少しだけ話をしたいと言うので、私はしぶしぶ助手席に座った。

彼は目に涙を溜めながら「これからも傍にいたい。かけがえのない大事な人だ。愛してる。結婚したいと考えていた」と言った。

私はそれを聞いて涙がこらえきれなくなった。彼は、私のあだなを呼びながら頭をなででくれた。そうだ。この人は優しい人だった。

でも別れなきゃいけないと思った。

 

「あなたには感謝しかないです。今までありがとう」

 

そう言って車から飛び出した。彼の「そんな…」という声が背後から聞こえてきた。

一度も振り返らなかった。

それから私は地下鉄に乗り、電車に乗り換え、海を見に行ったのだった。

雲一つない9月の青空だった。

 

(続)