つれづれ日記

24歳会社員のライフログ

旅とか人間らしく生きるとか

近距離ですが、旅に出ております。

海の見える場所が大好きで、海が見える宿にばかり泊まっています。

この文章も、ある港町の喫茶店で珈琲を飲みながら書いているのです。

 

天気予報は見事に外れて、今日は良い天気だ。日差しが窓から差し込んでくる。

 

一人で黙って旅をしていると、口には出さなくとも、言葉が普段よりも饒舌に心に浮かんでくるから不思議。

そうした言葉を取りこぼしたくなくて、またこんなふうに文章を書いている。

口をつぐむことは、豊かな言語表現を生むのかもしれない。

 

目の前に広がる光景にぴったりな言葉を見つけようと、ありとあらゆる言葉を考え、

それを打ち消して、また別の言葉を生み出しては、移動する光景と共に言葉も古くなっていく。

そうして次第に眠りが勝ってくる。いつしか微睡みの中に落ちていく。

旅に出るとき、こうした無意味ともいえるような時間が好きだったりする。

 

それから、この光景に適切な音楽を考えたりもする。

音楽アプリを起動して、最近好きな音楽の中から、この気分に合う曲は何かと考えたりする。

明るい景色であれば、明るい曲ってわけでもなくて、明るい景色の中で寂しい曲を聴くこともある。

例えば陽に照らされた海を眺めながら、悲しいバラードを聴いたりする。

こういうバラードは夜や暗い場所で聴くよりも、明るい場所で聴いたほうが、より切実だ。

孤独は一人でいるときよりも、人々の中にいるときの方が感じるけれど、それに似ているのかもしれない。

そうした疑似的孤独感、疑似的感傷に浸りながら、旅の暇をやり過ごすのだ。

 

明日には現実に引き戻されてしまうけれど、きっとこうした旅の一コマも、後からあんなことがあったなって思いだすんだろうな。

今ここで感じている感情を、いつかの未来では1から10まで鮮明に思い出すことはできなくても、

今この時にこうした感情を抱いて珈琲を飲んで文章を書いている私は確かに存在していたわけだから。

 

忘れてしまった思い出も、きっとたくさんある。

でもそれらは今の自分に確かにつながっている。

だから、未来の自分のために、今を積み重ねていきたいと思う。

 

最近よく思うのは、人間らしく生きていこうってことです。

泣いたり笑ったり、日々いろんなことがあって騒がしい毎日を過ごしている。

たまに疲れてしまうこともある。

でも、それで良いじゃない。それが人間らしいよ。

変に自分を抑え込んで、泣きたいのに笑ったり、悲しいのに楽しいふりをするのもやめよう。

馬鹿なことして失敗して、また挑戦して失敗して、泣いて悲しんで転がりまわるのも、

私が私らしく、人間臭く生きている証明なんだから。

 

いいよ。失敗しようよ。

馬鹿なことして後悔して生きていこう。

たまに息苦しくなって旅に出よう。

そうして、そんな毎日を繰り返して、

他の誰でもない私という人間が生まれていくなら楽しいじゃないか。

 

私という一個の人生を作りあげる一大芸術が日々の生活であるのなら、

できるだけ面白おかしく生きていってやろうじゃないか。

友達のこと

昨日仕事していたら、なんとなく「明日は旅に出よう。どこかに泊まろう」という気持ちになり、

終業後に友達と飲んで帰って午前3時頃、今日の宿を予約しました。

てことで、このブログは旅先の宿で書いています。

今お風呂から上がったばかりで、ホカホカしております。とっても幸せ。

 

なにもかもが窮屈になる時がある。そんな時、ここではないどこかに移動することで、

だいぶ気持ちが解放されていく感覚がある。

今回の旅もまさにそれで、移動している自分を感じたくて、こうして宿を予約して、急いで荷物を準備し電車に飛び乗ったのだ。

移動している間は、とりあえず私は前に進んでいる。今ここにとどまっているのではない、自分を感じることができる。

 

一昨晩はやはり彼氏から連絡は来なかった。

奴は何も知らずにぐーすか眠っていたのでしょう。怒

とはいえ私は健気にも23:30まで待っていました。可愛い彼女だなあ。

友達からは連絡が来た。それで昨日、久しぶりに会ってきた。

 

やっぱり気を使わなくてよい友達って最高だなと思った。

そんな友達は彼女しかいない。

友達にそう言ったら、「わたしもアンタがいなくなったら気を使わなくて良いの家族だけだわ」と言う。

嬉しくなった。友達がさしてくれた傘に入りながら、友達と腕を組んで、夜の街を女2人でうだうだ言いながら歩いた。

 

昨晩は強めのモヒートを服用したので、一杯だけでも結構アルコールが回ってしまった。

質の良いアルコールだったのか、気持ちよく酔いが回り、楽しくなってきた。

 

たまにこんなふうに心を解放して、酒に酔っ払うのも良いものだなと思った。

カラオケに行って、1回も歌ったことない曲ばかり歌い、サビしか分からなくてすぐに消したりした。

お互いにそれをやるから、最後まで歌える曲の少ないこと少ないこと。

でもこんなの普通はできないので、やっぱり許しあえる仲は良いなと思った。

 

帰り際、〇〇ちゃん家行きたい〜行かせろ〜とごねたら、来んな来んなと追い返された。

なんか楽しかった。

 

さて、明日は旅のことについて書こうかな。

今日のブログ、まじで中身なくてごめんなさい。 笑

 

おやすみなさい。

 

喧嘩ができません

タイトルどおりです。私は喧嘩ができません。

どんなにムカついたとしても、怒ることができない。

本当に言葉が出てこないんですよね。

怒りが喉元まで押し寄せてこんなにも外に出たがっているのに、声が出てこないんです。

なんでだろう。見栄なのかもしれない。

怒って取り乱しているところを見せたくないという、そんなズルさがあるから。

プライドがあるのかもしれない。

でも、だからといってその怒りをいつまでも心に溜めていったら、

いつか盗んだバイクで窓ガラスを割って回りそうになるから(…笑)

相手との関係にひびを入れない生産的な言い方で表現したいです。

 

どこまでいっても結局私はカッコつけなんだろう。

穏やかで優しい私、でいたいんだろう。

ずるいなあ。そうして本気でぶつからないんだから。

 

それって相手を信頼していないってことでもあるんだよね。

ぶつかっていこうとしないというのは。

 

嫌われるのが怖いんだろう。

なんでそんなに嫌われるのが怖いんだろう。

それはやっぱり学生時代に嫌われてしまって、そのトラウマがまだ癒えていないからなんだろう。

 

以前は、ひたすら「強くなりたい」と願っていたな。

でも今は、強くなるよりも「しなやか」でありたいな。

 

どんなにムカつくことがあっても、気持ちを抑え込むでもなく、

気持ちをぶつけまくるでもなく、

まあそんなこともあるよねって受け流せるくらいの冷静さがほしいな。

 

なんてスマホで音楽聞きながらつらつら書いていたら、斉藤和義の「やさしくなりたい」が流れてきたわ。

タイミングすごー。

最近改めて思うんだけど、何事もしかるべきタイミングで起こるし、

どんな物事にも意味があるんじゃないかと思うわ。

出会うべき時期に出会うべき人と出会っているんだと思うし。

 

だから今日こんなふうに朝から苦しい気持ちになって押しつぶされそうになって、

いったん冷静になろうよと思って頭の中の考えを文章にしていることも、

きっといつか読み返して、この日がターニングポイントだったって思うかもしれないよね。

いつも頭の中でぐちゃぐちゃ考えているけどさ、今日はあまりにもぐちゃぐちゃしてるから文字に起こしてみようという気になったんだけど、

こんな感じで自分の考えを文章化する訓練を続けていけば、

今後どんどん思考が整理されて、気持ちもすっきりするようになっていくかもしれないしね。

 

まあとにかくこんな感じでダラダラと書いたけど、久しぶりに日記書いてみて良かったな。

 

明日は金曜日だわ。

 

気を使わなくてよい友達に遊ぼって誘ったけど返事ないな。

まあ明日友達には会えなかったとしても、一杯酒飲んで帰ったりしてもよいかな。

 

この毎日には絶対に意味があるはずなのだ。

 

だんだん気持ちが晴れてきたからすごい。

文章化するのは本当に鬱々とした気分に効くのかもしれない。

しかもカッコよく書こうとしてないからね。普段の話し言葉で書いてるから気楽だし、

すらすら文章出てくるわ。

 

彼氏が「夜にまた連絡する」ってさっき電話で言ってたけど、まじで全然来る気配ないな。

また忘れてんじゃないかな。さっき、「デートの約束とか電話の約束ドタキャンするのやめて」って言ったばかりなんだけどな。大丈夫かな。怒

 

まあいいや。そんな他人である彼氏のことを考えていても、自分ではコントロールしようがない範囲の物事である。彼氏は彼氏だ。自分は自分だ。

覚えてくれていたら嬉しいけど、もし23:30まで待ってもダメだったら私はもう寝るからな。こちとら2日連続飲み会で疲れてんじゃ。

時々彼氏を信じて待つのが苦しくなり別れたくなるけれどでもやっぱり好きだから待ってしまう自分にムカつくわ。

23:30までAirbnbとか見てよさげな宿を探そ。

ムカついてるときは結局自分の好きなこと考えるのが特効薬かもね。

 

てことで、今日はここらへんで。

お付き合いありがとうございました。

息苦しさ

一つ一つの「悲しい」とか「寂しい」とかいう感情を全て本気で受け止めていたら

忙しないこの現実を生きていけないので意識して考えないようにしていたのだけど

今日の午前中お休みを取って休んでいたら、体が元気になった分頭がある意味正常に働いて

これまで感じないようにしていた感情が全て真正面から溢れてきて

それらを受け止めることが出来ずに、混ざりあった負の感情が一つの大きな「虚しい」という感覚になり、

心の中の大きなスペースを占めるようになってしまった。

 

今とても苦しい。

何者かになりたかった

移動していると、救われる。

とりあえず、物理的にでも、前には進めているから。

 

この頃、何者かになりたいと思う自分と、

結局何者でもないと知ってる自分とがぶつかり合って、気が休まらない。

 

何者かになってどうなんだって思うし、馬鹿げた悩みみたいだけど、ふとした時に考えてしまうんだな。

 

友人が短歌で認められて歌集を出版したり、

また別の友人はバックパック一つで世界一周の旅に出てブログで有名になったり、

他には学生の内から文章を書き続けてフリーライターになっている子もいたり…

 

私の周りには好きなものを極めて、それで社会にある種インパクトを与えている子が何人かいる。

 

彼女達は本当に輝いているし、友人としてとても素敵だなと思う。

 

一方私は、どこにでもいる平凡な社会人だ。

毎日同じ時間に出勤して残業してヘロヘロになって帰ってきて、溶けるように寝て、また朝が来て…

 

そんな日常の繰り返しだ。

そんな平凡こそが幸せだと理論では分かってても、なぜか満たされない思いが消えないし、

そんな夢みたいなこと思って精神的に前に進めない自分にも苛立つし…

 

詩人になりたいと思っていた。

 

でも、学生時代に詩のコンクールで賞をとってからやめてしまった。

あんなに熱中していたのに。

本棚に収まる詩集達を隅から隅まで読み漁った。

24時間詩のことを考えていた。

なのに、コンクールで賞をとったくらいでやめてしまったのだ。

 

もう今は書けない。

 

アホみたいと思う。

あの時まだ詩を書き続けていたら、どうなってたんだろう…なんて、愚かな夢物語。

でも、夢を見れるだけマシだと思ったり。

自分は何を目指しているのか。

 

今でも時々詩集を読む。

 

だのに、イメージが浮かばない。

人間には物事のやり時というものがあって、

私はそれを完全に逃してしまったのかもしれない。

 

電車は進む。

ひとつひとつ丁寧に、駅と駅の間を縫いながら。

物理的にでも進んでいたら、少しは気持ちも変わるんじゃないかと思って。

 

休日が来る度、電車に飛び乗る私がいる。

ボーダーライン

最近常々、人間というものは常にボーダーラインに立たされているんだなと思う。

誰もが正義であるし、誰もが悪だ。

 

それは、人間はふとしたきっかけで誰かにとっての悪になりうる…という意味でもあるし、

人間は存在している以上、常に善と悪を内包しているのだという意味でもある。

 

私は正しいし間違っている。

私が苦手だと思うあの子も、誰かにとっては何よりも大切な人間なのだ。

 

どんなに卑劣だと思う人間でも、尊敬すべきところはあるのだと思う。

やっと、心から思えるようになってきた。

 

完全なる正義も悪も無い。

人間は日々変わりゆくものなのだから、誰かを「正義」とカテゴライズすることは相手を縛ることでもある。

 

あなたはどこまでもグレーだ。

 

自分が正しいと誇らない。

相手を間違っていると決めつけない。

そうすることで見えてくるものが、きっとあるのだろう。

 

その愚かさも醜さも愛おしい。

ばかみたいな人間臭さの中で生きていたい。

夕張放浪譚

恋人と、夕張支線の全駅を訪問してきた。

来年331日で廃線になってしまうので、その前に見ておきたかった。

 

私は、夕張に行くのは初めてだった。

というのも、なんとなく嫌煙していたところがあった。

旧炭鉱の街で、財政も破綻しているし、ゴーストタウンのようになっているのではと思ったから。

 

実際、街は寂れ、煙り、崩壊した建物がそのままになっていた。

かつては利用されていたであろう店や自動販売機。

くぐもった窓ガラスから見える店内は、所狭しと壊れたモノ達で溢れていて、今にも雪崩を起こしそうだった。

 

私達は駅に行った。

特に印象に残ったのは、南清水沢駅

入った瞬間に強烈なトイレの匂い。もちろん良い匂いではない。

 

でも、そんなのすぐにどうでも良くなってしまうくらい、この駅は面白かった。

入るとまず右手にテーブルがあり、その上に「もらってください」と張り紙がされた紙袋がある。

気になって中身を見ると、なんと大きな黒い鞄。

なんでこんなところに。なんでこんなところで。

 

奥に進むと、駅員がいる窓口。(とはいえ今日はいなかった。中を除くとストーブと毛布が見えた)

窓口の前には胸くらいの背丈のテーブルがあり、その上には駅ノートやマフラーや写真や忘れ物が置いてあった。

忘れ物はジップロックに入っていて、メモが貼ってあった。

 

「忘れ物らしい。長い年月かけてた事でしょう。申し出てください。駅長

 

気になって中身の青いノートを取り出してみた。

開くと、ビッシリと古いガムの包装紙が貼られていた。

持ち主は几帳面な人だったのだろう。

端まで綺麗に貼り付けられている。

顔も名前も知らない人の落し物だけれど、その人の温もりとかモノへの愛情が伝わってきて、

何か言葉に出来ない意味を感じた。

 

駅を出た。

 

夕張駅に併設された喫茶店で、ケーキと珈琲をいただいた。

雪降る頃も近いような外の寒さから逃れて、店内はとても暖かだった。

すごくホッとした。

店員のおばちゃんが、「鉄道ファンのお客さんが残してくれたんですよ」と鉄道写真のアルバムを持ってきてくれた。

自由に見て良いのだと言う。

そこには春夏秋冬の電車が写されていた。

私は今この日この時の夕張しか知らないけれど、私達がここを去った後も、当たり前のように生活は営まれる。

常連らしい高齢の女性と、店員の孫らしき高校生の男の子が、将来大学に行くのかどうかなんて話をしているのを聞きながら、そんなことを考えていた。

そして生活は続くのだ。

 

帰り道、旧炭鉱住宅群を見かけた。

ふと立ち寄った。

今は普通のアパートとして使われているようだが、やはり古さは残る。

見た目は少し怖いとも言えるかもしれない。

 

恋人が突然、自分の両親は夕張出身だと言った。

大夕張地区で、両親の両親は炭鉱夫として働いていたらしい。

でも大夕張地区の住民は、ダム建設のため強制退去させられ、街は今、水の底に沈んでいるのだと言った。

何年も付き合っているのに、そんなことは今日初めて知った。

両親も昔はこうした炭鉱住宅に住んでいたのだと言う。

 

改めて、古く寂れた住宅を見た。

でも今度は、なんだか怖くなかった。

この人のルーツがここにあるのか。

 

私は鉄道に乗るのが好きだけど、夕張は少し嫌煙していた。

何か怖いような気がしたから。

そんなこと言ったら怒られてしまいそうだけど。

廃線になると言われなければ当分来ることはなかったかもしれない。

 

でも、いざ恋人と来てみたら、怖いなんていうことはなく、なんだかとても穏やかな気持ちになった。

 

守られているのかな、と思った。

 

おこがましいのかもしれないけれど。

そんなことを考えていた。

 

またここに来ようね、と約束をして帰ってきた。